『資金繰り表作成&活用マニュアル』

「今の預金残高で、うちは本当に大丈夫なのだろうか?」

毎月の給与振込日や仕入れ、返済の支払日
が近づくたび、通帳の残高を見て漠然とした不安に襲われる。もしあなたがそのような心境であれば、それは経営者としての「正常な防衛本能」です。

「現預金の目安は月商の3ヶ月分」

これは経営の世界でよく耳にする定説です。
しかし、長年多くの中小企業の資金繰り支援の現場に立ってきた私からすれば、この言葉を鵜呑みにするのは非常に危険だと言わざるを得ません。
業種も、利益率も、入金サイトも違う企業を一律の物差しで測ることはできないからです。

本記事では、教科書的な一般論ではなく、実際の財務コンサルティングの現場で用いている「会社を潰さないための現預金適正額」の考え方と計算ロジックを解説します。

守るべきラインを知り、根拠を持って資金を持つことは、不測の事態から会社を守るだけでなく、攻めの経営への切符を手に入れることと同義です。


結論:現預金の適正額に「唯一の正解」はないが「安全圏」はある

まず結論から申し上げます。現預金の適正額を決める要因は、以下の3つの変数の掛け合わせで決まると考えています。

  1. 月々の固定費
  2. 入出金のタイムラグ(サイト)
  3. 経営のフェーズ(創業期・成長期・安定期)

これらを無視して「月商の○ヶ月分」と決めてしまうのは、安易かもしれません。まずは、現預金が持つ「役割」を整理しましょう。現預金には段階的に3つの役割があります。

  1. 決済資金: 今月の支払いに必要な最低限のお金
  2. 運転資金: 入金までのズレを埋めるためのお金
  3. 安全余裕資金: 売上がゼロになっても会社を維持するためのお金

多くの経営者が「適正額」を知りたいと思う時、求めているのは3つ目の「安全余裕資金」のレベル感ではないでしょうか。
ここからは、その具体的な算出方法を3つの視点で解説します。


目安となる3つの計算ロジックと適正ライン

自社の適正額を把握するために、以下の3つの計算式を自社の決算書(または試算表)に当てはめてみてください。

1.基本指標:手元流動性(目安:月商の1.5〜3ヶ月分)

最もポピュラーな指標です。

手元流動性 = 現預金 ÷ 平均月商(売上高/12)

  • 1.0ヶ月未満: 危険水域。いつ資金ショートしてもおかしくありません。自転車操業に近い状態です。
  • 1.5〜2.0ヶ月: 通常水準。日常業務は回りますが、大口取引先の入金遅れや、突発的な設備故障に対応するには心許ない水準です。
  • 3.0ヶ月以上: 優良水準。銀行格付けでもプラス評価の対象となります。

【現場の視点】
利益率が低い(薄利多売の)卸売業などでは、月商の3ヶ月分を持つのは現実的にハードルが高い場合があります。逆に、利益率が高いIT業やコンサル業では、3ヶ月分でも少なく感じるケースがあります。そこで次に紹介する「固定費倍率法」がより実戦的です。

2.堅実指標:固定費倍率法(目安:固定費の6ヶ月分)

私が顧問先に最も薦めているのがこの考え方です。
「売上が突然ゼロになったとして、何ヶ月会社を維持できるか」という生存期間を示します。

計算式:現預金 ÷ 販管費( 人件費 + 家賃 + その他毎月かかる固定経費 )

  • 推奨ライン:固定費の6ヶ月分

これは、コロナ禍のようなパンデミックや、リーマンショック級の不況、あるいはメイン事業の突然の失注が起きた際、「リストラせずに社員の雇用を維持しながら、次の事業の柱を作るのに必要な期間」が概ね半年だからです。
月商ベースでは適正に見えても、固定費ベースで見ると約2ヶ月分しかない、というケースは非常に多く見受けられます。

3.実戦指標:経常運転資金

これは少し専門的ですが、業種によっては必須の視点です。

計算式:売上債権(売掛金+受取手形)+ 棚卸資産(在庫)− 仕入債務(買掛金+支払手形)

この計算式で算出される金額が、「商売を続けるために立て替えておかなければならないお金」で、経常運転資金と呼ばれています。
現預金の適正額は、最低でもこの「経常運転資金」を自力でカバーし、かつ不測の事態に備える金額である必要があります。


業種別・フェーズ別で見る「現場のリアル」

「計算式はわかったけど、うちは特殊だから…」と思われるかもしれません。
実際、私が担当した事例(特定を避けるため一部加工しています)を元に、業種やフェーズによる違いを見てみましょう。

ケース1:建設業・製造業(入金サイトが長い)

ある地域密着の建設会社様の話です。年商規模は数億円。
現預金は月商の2ヶ月分ありましたが、黒字倒産の危機に瀕しました。 理由は「大型案件の着工」です。材料費や外注費が先行して出ていく一方、入金は完工後の数ヶ月先。売上は立っているのに、キャッシュが足りない。
先行投資や立替が発生する業種では、「月商の3〜4ヶ月分」あっても多すぎることはありません。あるいは、工事ごとの「つなぎ融資」枠を確保しておく必要があります。

ケース2:飲食・小売業(日銭が入るが現金決済も多い)

日銭が入る業種は、資金繰りがシンプルに見えます。
しかし、店舗改装や厨房機器の故障など、突発的な「設備投資」がキャッシュを急激に減らします。 運転資金としての現預金は「月商の1.5ヶ月分」程度でも回りますが、別途、設備更新のための積立としてのキャッシュを持っておく必要があります。

成長ステージによる違い

  • 創業期〜成長期:
    赤字を掘ってでも売上・シェアを取る時期です。ここでは「月商倍率」は意味をなしません。
    「向こう1年間の支出総額」を確保できるかどうかが、生存のカギです。資金調達(エクイティや融資)でとにかくキャッシュを厚くする必要があります。
  • 安定期・成熟期:
    ここからは資金効率(ROA/ROE)も問われます。無駄に現金を寝かせるより、新規事業やM&A、システム投資へ回すべきです。それでも、固定費の6ヶ月分は、何かあった時のリスク軽減のために確保しておくことをお勧めします。

「現預金は多いほど良い」の嘘とホント

「お金を借りて金利を払うくらいなら、手元の現金をギリギリまで使った方が得ではないか?」 経営者の方からよく頂く質問です。しかし、財務戦略としてはとにかく「現預金は、借入をしてでも多く持っておく」が正解である場合が多いです。

銀行融資のパラドックス

銀行は「お金を持っている企業」に貸したいのです。「雨の日に傘を取り上げ、晴れの日に傘を貸す」と揶揄されますが、これは銀行のリスク管理上、必然の行動です。 手元に現預金(=返済能力)がある会社には、銀行は低い金利で融資を提案します。逆に、資金繰りが逼迫してから融資をお願いしても、断られるか、高い金利を提示されます。

「実質無借金経営」のすすめ

私が推奨するのは「無借金経営」ではなく「実質無借金経営」です。

  • 無借金経営: 借入金0、現預金1億円
  • 実質無借金: 借入金1億円、現預金2億円

財務の安全性としてはどちらも優秀ですが、経営の選択肢が広いのは後者です。
手元に2億円あれば、突発的なM&Aの話や、大規模な設備投資のチャンスに即座に対応できます。「現預金という名の安心」を買うための金利コストは、保険料、銀行との付き合い料だと割り切るべきです。
さらに、銀行からの借入という実績があると、また必要になった時に、次の借入もスムーズに受けることができます。


現預金が足りない!その時どう動くか

計算した結果、「うちは全く足りていない!」と焦った方もいるかもしれません。適正額へ近づけるためのステップは以下の通りです。

  1. 長期借入金の借り換え(一本化)
    毎月の返済額(約定返済)が多すぎてキャッシュが溜まらないケースが多いです。
    複数の借入を一本化し、返済期間を延ばすことで、毎月の返済額キャッシュアウトを減らします。
  2. 無駄な資産の現金化
    動いていない在庫、使っていない社用車、解約返戻金のある保険、含み益のある投資有価証券、遊休資産。これらを精査し、現金に変えます。特に「過剰在庫」は現預金の敵です。
  3. 入出金サイトの交渉
    「支払いを翌月末から翌々月末に」「入金を月末締め翌月末払いに」。取引先との力関係によりますが、数日のズレが数百万のキャッシュフロー改善を生むことがあります。
    資金繰り改善の最重要ポイントは、「入りを大きく早く、出を小さく遅く」です。

よくある質問(FAQ)

現場でよく聞かれる質問をまとめました。

Q. 内部留保(現預金)が多いと税務署に目をつけられませんか?

A. 中小企業であれば、原則として心配ありません。 「内部留保課税」は大企業(特定の同族会社を除く)が対象の話です。税金を払いたくないからといって、無駄な経費を使って現預金を減らすのは本末転倒です。税金を払ってでも、手元に現預金を残す経営が、永続への近道です。

Q. 現預金適正額に「定期預金」は含めていいですか?

A. すぐに解約できるなら含めてOKですが、注意が必要です。 定期預金が融資の担保(定期預金担保)に入っている場合、それは自由に使えないお金です。これを適正額の計算に入れてしまうと、いざという時に動かせず命取りになります。「拘束性預金」になっていないか必ず確認してください。

Q. 赤字決算でも融資で現預金を増やせますか?

A. 難易度は上がりますが、可能性はあります。 単なる赤字補填のための融資は厳しいですが、「V字回復のための具体的な計画(新規事業や業務改善)」があり、かつ「直近までは資産背景が良い」場合などは、協調融資や保証協会付き融資で調達できる可能性があります。諦めずに専門家へ相談してください。


最後に:現預金(キャッシュ)は企業の「時間」そのもの

現預金の適正額について解説してきましたが、最後に一つだけお伝えしたいことがあります。

経営において、現預金(キャッシュ)とは「時間」そのものです。

キャッシュがあれば、戦略が失敗しても、もう一度挑戦する「時間」があります。市場環境が悪化しても、回復するまで耐える「時間」が得られます。

「月商の3ヶ月」という目安にとらわれず、自社の固定費、ビジネスモデル、そして将来のビジョンに照らし合わせて、現預金を積み上げてください。もし、その算出や銀行との交渉に不安があれば、我々のような専門家の知見を活用するのも一つの手です。